1人の日本人が自身の競技力アップのため、マラソン大国ケニアに乗り込んだ。そしてその5ヶ月後、トレーニングキャンプの建設を始めた。
その日本人の名は、八木勇樹。29歳の現役ランナーであり、実業家で本記事のライターでもある。本記事は、ライター「八木勇樹」による現役ランナー「八木勇樹」のプロジェクトを特集した記事である。
前編では、何故ケニアに行ったのか?どういった経緯でRDC KENYAを設立したのかに迫ります。
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まず初めに私、八木勇樹とは何者なのか
私の紹介については本記事では割愛させて頂くことにする。
詳しくは八木勇樹オフィシャルWEBサイトをご覧頂きたい。
「八木勇樹公式サイト」
自分のトレーニングの事だけでチーム設立の事は考えていなかった
常に自分に無いものを追い求めるタイプ
筆者:何故、ケニアに行ったのですか?
私は2018年1月から3月までケニアに合宿に行きました。何故ケニアなのか?これは多くの方に聞かれます。
理由としては、世界のトップ選手の大半がケニア人ランナーです。ということはケニアには強さに繋がる「何か」がある。現役ランナーとしてこの「何か」を知らないまま競技を続けるのは勿体無いと思ったからです。
また、単純にケニアの事を知らなかったというのも要因としては大きかったです。今の自分の価値観を打ち崩す何か。僕は性格的にも常に自分に無いものを追い求める事に夢中になるタイプなので、これは一度行くしかないと思ったんです。
初めてケニアに行ったのは、高校2年生
筆者:ケニアは初めて行ったのですか?
いえ、実は2回目です。
初めてケニアに行ったのは2007年の世界クロスカントリー選手権。当時高校2年生の僕はジュニアの部の日本代表に選出され、その時の大会場所がケニアのモンバサだったんです。
その時の日本選手団は、皆食事によって体調を崩しました。もれなく私もです。笑 また、モンバサは高温多湿でレース当日のコンディションは気温37度、湿度90%超だったと記憶しています。体調不良だった事もあり、ウォーミングアップすらまともに出来ない状態でした。そしてレースでは案の定ゴールするので精一杯(40位)。アフリカ人選手とはスタート地点だけ同じで、別のレースを走っているような次元の違いを見せつけられました。
筆者:苦い思い出のケニアに再び行く事になったのですね
そうですね。11年経って傷が癒えたのかもしれません。笑
あと、僕は環境が変わることによって体調が悪くなることが多かったのですが、独立して海外のレースや合宿を経験したことによって、体調を崩さなくなりました。そこは成長した点だなと思っていたので、ケニアに行くことについては特に不安はなく、むしろ楽しみでした。
ベッドもシャワーもトイレもない!?
筆者:ケニアではどうやってトレーニングや生活をしていたのですか?
1月から2月の中旬までは、ロンドン五輪マラソン日本代表の藤原新さんと一緒にアパートを借りて、生活をしていました。8月の夏の合宿でご一緒させて頂いた際に、
「冬はケニアで一緒に合宿できれば良いですね。」
という話をしていて、それが実現しました。新さんは以前にもケニアで合宿をしていたので、ケニア人の知り合いも多く、トレーニングパートナーやハウスキーピングの人も手配してくれていました。新さんは2月の中旬には日本に帰国したので、そこから約1ヶ月は1人で生活していました。
ケニアに着いた当初は大変でしたよ。ケニアで借りたアパートは手配されていたはずが、ベッドやテーブルなど何も無い状態でした。シャワーも無いしお湯も出ない。まずはベッドを作り、次にキッチンテーブル。ガスコンロを買ってようやくお湯を沸かして水を被るだけから頭と体を洗うことが出来るようになりました。トイレもありませんでしたからね。笑
トイレやシャワーを取り付けて普通に過ごせるようになるまで3週間以上かかりました。ただ、途中トイレから水漏れが発生し、自分達で直したり。断水や停電も頻繁におきます。毎日が奇想天外で生きていくことの大変さを味わいながらトレーニングを行う日々でした。
ただ、毎日が本当に面白かったんです。以前の自分だったらストレスに感じていました。でも自然とストレスに感じず、「生きている」と毎日実感できる新しい気づきでもありました。
「俺、生きる力はついている!」と。
ケニアの貧困の問題と自分の可能性
筆者:当初は、自分のトレーニングだけでケニアに行ったのですか?
そうですね。当初は自分のトレーニングの事だけでチーム設立の事は考えていませんでした。ただ、僕はケニアに来てまず感じた事が2つありました。
1つはケニア人ランナーの貧困の問題。
もう1つが自分自身の可能性です。
1つめの貧困の問題については、アパートに住んでいたためトレーニングパートナーのケニア人や、その友達、家族と交流する機会が多かったのですが、裕福な人はいませんでした。
ほとんどのケニア人が、家族や親戚にアパート代や食事のサポートをしてもらって競技を継続していました。ランナーは
「競技で結果を出して次のチャンスを掴んでスターになる」
そういった志と希望を持って日々トレーニングに打ち込んでいましたが、お金がなく満足に食事を摂れなかったり、衛生状態の悪い家に住んでボロボロのシューズを履いていました。
僕達日本人が見ている、世界のレースや、日本の大学・実業団で活躍するケニア人ランナーはほんの一握りのチャンスを掴んだ人達で、大半はチャンスを掴めないと同時に、見えない未来に不安を抱えている状態でした。
僕が滞在していた期間は、トレーニングパートナーや友達を家に招き、一緒に食事を摂ったりとできる範囲でサポートをしていました。
力のあるケニア人ランナーがたくさんいるのに、きちんと生活が出来ている選手はほんの一握り。僕自身アスリートとして、アフリカ人ランナーがもっと評価されたり、豊かになる取り組みをする必要があると感じました。
もう1つの自分自身の可能性について。
僕はケニアに行って始めの2週間は慣れない高地(標高2400m)で体調も上がらずトレーニングが出来ませんでした。しかし次第に状態も上がって来て、ケニアに来て1ヶ月後には、今まで一緒にトレーニングが出来なかったグループでも対等に渡り合えるようになりました。
また、ゼーン・ロバートソン、ジェイク・ロバートソンという双子のニュージーランド人のランナーがケニアを拠点にトレーニングを行っているのですが、2人とも日本人ではなかなか互角に戦えない力を有しています。(2人共ハーフマラソンの記録は日本記録より速い)
その2人が僕と同じ年なんですよ。彼らは18歳で母国を離れ、人生を懸けて2人で知らないケニアの地に来て、死にそうになった経験もしながら11年もケニアでトレーニングと生活を送り、今の力を手に入れました。実際に彼らのトレーニングに参加させてもらう機会がありました。レベルが非常に高く興奮しました。彼らは高い水準のトレーニングを継続して行っています。
当然、本人達の能力の高さもあると思います。しかし、僕は彼らとの覚悟の差を思い知りました。僕が18歳で単身ケニアに拠点を置くというのは考えられなかった。そういった思いが僕の競技人生の針をまた進め出した感覚になりました。
「今からでも遅くない。やるしかない」
28歳というと若手でもなく、日本のランナー寿命としては決して残りは長くない。しかし海外では30代後半でも活躍しているランナーもいます。これからケニアを拠点にトレーニングを行おうと即断しました。
ついにプロジェクトが動きだす
一刻も早く施設を建てるしかない
上述の2つを感じてどうしようかなと考えていて、答えが出たのが3月上旬。
「こうやって現状、見える範囲でサポートをしているから、プロジェクトとしてより多くのケニア人ランナーをサポートしたい」
「自分の競技力アップのトレーニング拠点として、ケニアに定住できる施設を作りたい」
この2つの思いから、「一刻も早く施設を建てるしかないな」という考えに至りました。
答えが出てからの行動は早かったです。
まずはケニアという国・法律・仕組みなどを勉強しました。そしてケニアでの滞在期間が残りわずかとなっていましたが、そこから諸々の手続きと土地の契約と建設会社との打ち合わせを急ピッチで進めました。
そして、ある程度メドの立った状態にしてレース出場のためヨーロッパへと旅立ちました。
本当の失敗は「何もやらないこと」
筆者:何とも急な展開ですね・・・
本当にそう思います。
ただ、僕は迷った時点で絶対にやるタイプなんです。その時悩んでいてもやらないという選択はなく、迷ってるだけ始めるタイミングが遅れるだけ。
実業団からの独立の時に「迷い」というものを経験して、結果的に迷っている時間が勿体無かったと後から感じました。
もちろん失敗することもあります。ただ、僕の中の本当の失敗は「何もやらないこと」。やらずに後悔することはあっても、やってみて失敗しても後悔はしませんからね。それを自分の成長に繋げて次に生かせば良い、ただそれだけなんです。
OFFICE YAGIの資金で全てやるつもりでいた
筆者:1月〜3月の合宿以降はどのような流れだったのですか?
ヨーロッパでのレースを終えて4月に帰国しました。それからは日本とケニアで連絡を取ってやりとりをしていました。プロジェクトの構想が固まるにつれて、施設に関しては結構な資金がかかるという試算になりました。
衣食住全てのサポート、トレーニングサポート。これらが出来る施設を作る必要がありました。
すると自然と自分の居住空間の予算を削る事に。笑
僕は独立時にOFFICE YAGIという会社を設立し、仲間と共に様々な活動を行ってきたので、そのお金をこのプロジェクトに突っ込みました。今でこそ、スポンサー企業がついて順調にケニアプロジェクトが進んでいますが、4月時点ではOFFICE YAGIの資金で全てをまかなうつもりでいました。
というよりも、もう送金をして始めてしまっていたし・・・笑
そして5月にケニアプロジェクトの概要が全て決まりました。
ケニア人ランナー育成型トレーニングキャンプ
「Running Development Camp KENYA」通称:RDC KENYA
RDC KENYAは、多くの才能が埋没するケニアにおいて、アスリートとして成長するための環境を提供する。
八木は6月に再びケニアに行った。後編では、RDC KENYAの施設の建設や、予想だにしなかった出来事など、八木の孤軍奮闘に迫る