【岡田健のコラム vol.4 〜留学準備編③】

前回、僕がアメリカ留学準備と全国高校駅伝を目指すチームの主将の両立でぶち当たった”壁”のことを書きました。岡田健のコラム vol.3 〜留学準備編②

一番しんどかったのは、なんと言っても過去に成功例が一つもなかったことでした。「こうやったら部活をやりながらアメリカの大学に合格できるよ」とアドバイスしてくれる人が周りにいなかったので、自分で模索するしかありませんでした。

今回は、どのようにしてこの”壁”を乗り越えたのかを書きます。

主将不在でも強いチームに

前回も書きましたが、留学準備と駅伝チームの主将を両立させる上で、チームメイトの存在は欠かせませんでした。

高校3年生の10月、全国高校駅伝の予選である東京都高校駅伝を控え、僕たち國學院久我山のメンバーは、非常に充実した練習をしていました。

都大会のコースで行ったポイント練習では、メンバーが軒並み区間記録に相当するタイムを出したり、例年にない強いチームに仕上がっていたほどです。

それは、9月に行われた全国高校駅伝の前哨戦ともいわれる日本海駅伝で、同じ東京都のライバルである日体大荏原高校に1分以上の差をつけられて完敗しており、「このままではダメだ」と、チーム全体が危機感と集中力をもっていたからでした。

日本海駅伝の写真が無かったので、しらかわ駅伝でのものです。後に箱根で活躍する選手も多く走っています。

一方で、予備校に通わなければならなかった僕は、相変わらずポイント練習を一人でやったりしていましたが、焦りはありませんでした。それは、チームメイトたちが僕と同じ方向を見ていることを分かっていたからです。この実感はすごく心強かったことを覚えています。

実際走っているところを見なくても、意識高く追い込んでいることを互いに信じ、自分も頑張る。駅伝チームに一番必要なマインドセットだと思います。その信頼感があったからこそ、僕は勉強するときには勉強に100%集中できていました。今思い返しても、充実した環境だった思います。

何度も言いますが、こんな勝手をやらせてくれる駅伝の強豪校は、きっと全国どこ探してもありません(笑)。

 

通学時間、単語帳、リスニング、シャドーイング…「スキマ時間」で出来ること

TOEFLで必要な英語スキルは「読む」「聞く」「話す」「書く」の4つ。これらすべてを、約半年という短い期間でレベルアップする必要がありました。

前回の記事で、当時の1日の大まかなスケジュールを書きました。僕の英語力を上げる助けになったのは、そこに書かれていない「スキマ時間」の使い方です。

例えば、僕は久我山まで毎日1時間40分かけて通っていましたが、その通学時間も立派な勉強時間でした。混み合って単語帳を広げられない満員電車では、イヤホンを耳に突っ込んでひたすらリスニング。リスニングで聞こえた文章をそのまま追いかけて読む「シャドーイング」もやりました。怪しまれないように、マスクをつけて超小声で(笑)。

混んでいない電車では、ひたすら単語を覚えたり英文を読んだりしました。英文を読んでいて分からない単語には印をつけて、学校に行ってから調べました。また、人のいないところでは、英文を声に出して読んで、発音の練習をしました。

無駄にできる時間はありませんでした。

 

日本とアメリカの入試の違い

バークレー校の時計台。当時はまだ憧れでしかなかった。

この頃、大学にオンラインで提出する出願書類に必要な「1000ワード以内のエッセイを2つ」書かなければなりませんでした。アメリカの大学受験は、やることが本当に多いんですよ。

エッセイのテーマは、「あなたのアイデンティティ形成に寄与している要素を書いてください」というもの。自分がどう他と違っていて、特別であるかを問うものです。これは言い換えると、「あなたは学校にどのように貢献してくれますか?」「なぜカリフォルニア大学バークレー校はあなたを受け入れる必要があるんですか?」と問われているのです。

アメリカでは、会社の就職面接でも

「あなたは何ができる人?」
「あなたはこの会社にどう貢献するの?」
「会社があなたを受け入れるメリットは?」

このように聞かれることが多いです。理路整然と、相手が望むことを自分の経験を自分の言葉で端的に伝えるスキルを高校生の時から磨く必要がありました。

アメリカの大学の多くは、入試の点数だけで合否を決めません。極端な話をすれば、SAT(アメリカの高校生も受ける共通テスト)の点数が満点でも落ちることがあるし、基準点ギリギリの点数でも、その人の生い立ちや課外活動経験、エッセイの個性などによって総合的に認められれば合格できます。

考えた末、1つは「高校2年で出場した世界ユースで他国選手と触れ合ったことが自分に与えた影響」、もうひとつは「双子で生まれたことが自分のアイデンティティにどう影響を与えているか」について書きました(ご存知の方もいると思いますが僕、双子なんです)。

当時僕は、日本語で思考して、それを英語に書き換えるという作業をしていたので、予備校のアメリカ人講師にたくさん添削をもらいながら大変な時間がかかりました。

ポイント練習直後に、時間がないから駅のベンチで赤だらけのノートに向き合っていたのが今では懐かしい思い出です。僕のケースでは、最低限の点数(だいたい1500点)を取って真面目にエッセイを書けば、あとは陸上部のコーチがゴリ押しして入学させてくれることを約束してくれていました(笑)。

 

SATは目標クリア、残すはTOEFLと全国駅伝

11月の都駅伝の少し前、僕はSATで、課されていた点数をギリギリで超え、留学に一歩近づきました。毎日1時間40分の通学電車の中でこつこつ地道にやってきた単語学習が成果を見せ始めていたのです。

「あとは都駅伝優勝とTOEFL81点だ。」

3つあった目標のうち、1つ達成されると、急にゴールが近付いて来た感覚がしました。「何とかなっちゃうかもしれない」と淡い期待を抱き始めたのです。単純なものです…(笑)。

こうしてアメリカ受験の手応えを感じ始めたころ、都駅伝が目前に迫ってきました。僕はチームメイトと一緒に優勝するためのコンディショニングに全力を傾け、いよいよ都駅伝を迎えます。

次回の記事は、都駅伝のこと、その後の留学直前準備のことを書いていきます。