高校卒業後、アメリカに渡った岡田健の体験記〜きっかけ編〜

初めまして。今回から新たにZONE MAGでコラムを書かせていただきます、岡田健(おかだたけし)と申します。この春に、アメリカにあるカリフォルニア大学バークレー校を卒業したばかりの23歳です。

僕はこの留学での経験を、ZONE MAGのコラムという形でシェアしたいと思います。日本で競技する人たちにとって、アメリカでの競技生活が身近に感じられるようになればいいなと思うのと、今競技に打ち込む中高生やその親御さんに、「アメリカの大学という選択肢もあるよ」と可能性を提示できればと考えています。

さて、初寄稿となる今回は、私がどういういきさつでアメリカ留学をすることになったのか、お話しします。まずは、僕のことをご存じない方も多いと思うので、まず簡単に経歴を紹介いたします。

<岡田健の経歴>
中学から陸上部に入り、三年次の全中陸上(全日本中学校陸上競技選手権大会)で1500mと3000mで二種目入賞。スポーツ推薦で國學院久我山高校に入学し、高校二年次には世界ユース選手権3000mで8位入賞。高校三年でアメリカ進学を目指し、全国高校駅伝を目指すチームの主将を務めながら猛勉強。高校卒業後に合格を勝ち取る。そして2015年からの四年間、カリフォルニア大学バークレー校で社会学を専攻しながら、NCAA Division I で戦う。大学時代は主に3000m障害を走り、2019年、卒業とともに帰国。同年6月の日本選手権を最後に、競技を引退。
現在は、一般企業への就職を10月に控え、同時にブログやコラムを通して、アメリカでの勉強や陸上の経験を、多くの人にシェアする取り組みを行っている。

高校生で海外志向になったいきさつ

普通、高校で全国上位に入った選手は、箱根駅伝を目指して関東の強豪大学に入学します。僕の周りも、ほとんどが関東の強豪校に進学しました。多分に漏れず、幼いころから箱根駅伝に憧れ、高校2年までは関東の大学に進学する気でいました。

海外を目指すきっかけとなったのは、高校2年生で出場した世界ユース選手権でした。当時16歳の僕は、ケニア、エチオピアといったアフリカ勢のスピードに全くついて行けず、ただただ圧倒されました。まるで違うレースを走っているようでした。

さらに僕は、その遠征で自分のコミュニケーション能力不足を痛感しました。海外の選手と、ほとんど話せなかったのです。「日本を代表しているのに情けない」と感じました。

その年の秋、2020年東京オリンピックの開催地が東京に決定しました。今まで箱根駅伝が競技人生最大の目標だった僕にとって、新たな夢が出来た瞬間でした。

「東京オリンピックに出たい!」と強く思った一方で、「東京オリンピックまでに残された6年間で、トラック種目で日本のトップに立つにはどんな環境に身を置くべきなのか」と考えました。

箱根駅伝を目指しながらトラックでオリンピックを目指せるほど自分は器用ではない。そうして考え付いたのが、アメリカの大学に進学することでした。

リスクを上回ったのは好奇心

しかし、今まで誰もしてこなかったアメリカ4年制大学への留学。雑誌などでしか見たことのないアメリカの練習環境。そもそも入学させてもらえるのか、どういうプロセスを踏めば入学までたどり着けるのか。分からないことだらけ、リスクだらけでした。

「どうせオリンピックなんてドデカい目標なんだ。他人と同じように目指すなんて面白くない」
「アメリカの大学のユニフォームを着てアメリカのトラックで走る自分なんて想像もつかない。一度きりの人生、その景色を見ないで終わるのは何か寂しい気がする」

そんな子供みたいな単純な動機が、最後に僕の背中を押してくれました。アメリカ進学に最終的に踏み切れた要因は、自分の好奇心だったと思います。

結果、東京オリンピック前に競技引退という形に終わりました。けれど、全米でも最難関のひとつと言われる大学を4年間で卒業し、その中で日本と全く違う環境での競技生活で多くのものを得ることが出来ました。

これからこのコラムでは、大学進学までのこと、大学に入ってからのこと、またアメリカの大学陸上で気付いたことなどを、ありのままに書き綴っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。