陸上競技の選手(長距離)における現状と取り巻く環境

近年日本陸上界では様々な競技スタイルが注目されている。。。同じ競技を行うが、それぞれの置かれている立場や環境によってこのように分類されることがある。そこで今回は陸上競技の長距離選手の現状と取り巻く環境について考えてみる。

一般的な分類と考察

①プロランナー
②実業団ランナー
③市民(公務員・一般企業含む)ランナー

代表的な人物名を挙げると
①大迫傑
②設楽悠太
③川内優輝

しかし、実際は「競技者個人」としてはこのような分類はないと私は考えている。
プロランナーといっても定義は曖昧だ。賞金だけで生活をしているわけではなく、それ以外にスポンサー料やイベント料・所属チームでの金銭が発生している場合だってあるし、私のようにランニングチームやスポーツジムを運営しながら競技活動を行っている者もいる。

実業団ランナーといっても、全く業務を行わない契約内容の選手もいれば(企業による)、勤務時間が短縮・優遇され練習時間を確保できる実業団チーム、そして通常の勤務時間で勤務後に練習を行う実業団チームもある。

市民ランナーでも、日勤(7.75時間)で朝か夜(時に両方)に練習時間を確保する場合もあれば、午後からの勤務で朝にまとまった時間を確保でき練習できる人もいる。

実業団

日本が世界と異なる点としては、「実業団チームが多数存在する」という事である。
これは皆さんもテレビで一度は見たことはあるだろう正月の箱根駅伝などの「駅伝」という日本固有の文化によるものだ。
駅伝がテレビで放送されるため、大学名・企業名などを大きく宣伝することができる。また、それが直接的な売り上げに繋がらなくても、イメージアップなどに繋がることから、駅伝の影響力というのは大きい。

したがって、企業(実業団)に焦点を当てると、1月1日の「ニューイヤー駅伝」。7区間あるため、最低7人。登録できる控え選手が5人なのでエントリーは合計12人となる。だいたい1チーム15人〜20人ぐらいの選手が所属している。実業団数でいうとだいたい国内で40強といったところだろうか。するといわゆる前述の②実業団ランナーは国内に700人〜800人ほどいることになる。(だいたいの計算)

しかし、実業団ランナーといっても、先程も説明したように勤務形態はそれぞれで、選手の競技に関する価値観も様々だ。
「世界で戦える選手になりたい」
「好きな陸上を長く続けたい」
「駅伝が好きで走りたい」
などなど。

また、高校卒業時、大学卒業時の競技レベルによって待遇も違い、競技に専念できる環境を選ぶ選手もいれば、勤務時間は長いが競技を続けられる環境を選ぶ選手もいる。(引退後のことを考えて正社員となる実業団チームを選ぶ場合もある)

これは個人の価値観・競技レベルで様々だ。当然、競技レベルが高くないと選択肢はあまりない。

つまり、同じ「実業団ランナー」というカテゴリーでも様々であり、あくまで「競技者個人」で考えるべきだと私は思う。

他国との比較

他国では、この「実業団」制度はない。これは駅伝がないため、企業が大人数の選手を抱えるメリットがないからだ。したがって、各国、高卒時・大卒時にそのまま社会人として競技に専念できる環境、もしくは優遇される環境で行える選手は、高い競技力を備えたトップレベルのほんの一握りなのである。毎年で各国上位数人といったレベルだろう。その選手達はメーカーなどがスポンサーとなり競技を行う。

それ以外の人たちは「市民ランナー」として競技を継続し、結果を出しスポンサーをつけるか、もしくはそのまま働きながら競技を行うか(将来を見据えあえて働きながら競技を継続する選手もいる)、引退するかだ。

よって、様々な競技継続の方法をとっている選手がいることは世界のスタンダートでもあり、競技者個人としてみれば、日本は実業団以外の選択肢をとった選手が最近注目されているが、特段変わったことではないのだ。

例えば、川内選手がマラソンで活躍したら、
「プロや実業団選手は何をやってるんだ」

大迫選手がトラック・マラソンで圧巻の走りをすると
「実業団選手は駅伝をやっているからダメなんだ」

と批判される。これは全くもってお門違いで、あくまで競技者個人として考えるべきなのである。しかし、世間やメディアなどは対立構造を作りたがる。

プロvs実業団vs公務員

しかし、戦っているのはあくまで個人で、良い結果も悪い結果も個人の競技力以外の何物でもない。

選択肢は多様にある

個人の価値観により、お金を優先するのか、環境を優先するのか(自分の考えを実行できる・トレーニング環境が整備されているなど)、それ以外に優先することがある人もいるだろう。
そして何を優先するかを考えた中で、競技力のある者・覚悟のある者が自分の価値観を優先した選択ができ、多数のメリットを獲得できる。よってその環境が実業団にあれば選択することはごく自然であるし、それ以外の選択をすることもまた自然なのである。中にはメリットの獲得よりも目標実現のためにリスクを負った選択をする者もいる。

しかし、日本の場合本来社会人として海外だと競技をできるレベルになくても、競技を継続できる環境があるため、より多くの「競技を続けたい」という選手の目標を叶えられているというメリットもあるが、その分国内の競技レベル全体としてみれば低下してしまうという見られ方があるのも事実。

海外だと、世界大会で活躍するレベルになければ、競技を継続するのは難しい。その点日本だと世界大会で活躍せずとも競技活動を継続することができるのは、「駅伝」というマーケットが国内にあるからだ。よって日本で競技を行っている者全員が、世界に目を向けることが難しいのは仕方のないことだ。そもそも「社会人で陸上競技を行っている」というのが共通しているだけで、目標や目的は個人個人違うからだ。

駅伝は弊害なのか!?

そしてもう1つ、世界を目指す人が駅伝を走るのは弊害があるのかということ。
私は全くもって関係のない話だと思う。そもそも長距離区間を走ったとしてもせいぜい予選と本戦で2本だ。各々が目標に向かったトレーニングプログラムを実施する中で、駅伝を走ることは何ら問題はない。

問題があるとすれば、駅伝が宣伝効果が大きいため、チームとして駅伝で結果を出すことを最優先したトレーニングプログラムを年間の中で中長期で行ってしまうことだ。

私は2010年度に大学駅伝3冠(出雲・全日本・箱根)を達成したが、駅伝には駅伝の良さ(個人で走るが団体競技)があったことも確かだ。世界を目指す・もしくはもう世界と戦えるレベルにある選手が駅伝で全力を尽くすことは何ら問題はない。駅伝の位置づけも、ターゲットレースにおけるトレーニングの一環という選手もいるだろうし、ここで全力を尽くしてまた次に向けて仕上げていくという選手もいるだろう。

また、毎年のように
「箱根駅伝が選手をダメにする」
といったような議題が幾度となくされてきたように思うが、これは私としては議論にすらなっていないと思っている。前述のような理由によるもの、すなわち競技者個人によるものだからだ。

箱根駅伝を走ることが競技人生の最大の目標とすることの何がいけないのだろうか?
テレビで見た箱根駅伝に憧れを抱き、そこから走り始める子どもだっているはずだ。そして箱根駅伝を走ることによって実業団から評価されて勧誘され、最大の目標は達成したけど、まだ走りたいから実業団で走るという動機だって存在するはずなのだ。

その一方で本当に世界を目指している選手は社会人になってからも上を目指して競技をする。要するに、1人1人競技にかける想いは異なるし、選択する道も異なる。そして1人1人にレース毎にかける想いやドラマがあるのではないのだろうか。

まとめ

何か一括りにしたり、区分け・対立姿勢によりついつい比較しがちだが、選手1人1人を知ることによって、少しでも応援しようと思える選手を見つけてほしいと思うし、競技者は周りに流されたりせずに自分が何を目指し、どうなりたいのかを明確にし競技に取り組み結果を出して、応援してもらえる選手になることが良いのではないかと考えている。

選手も応援する側も互いに個性を尊重し、日本の陸上界を盛り上げていければ良いのではないか。

大迫傑・設楽悠太など時代を変える可能性のある選手が何人かいる。
私も競技者としてそこに加われるように常に上を目指してトレーニングを継続していく。

ABOUTこの記事をかいた人

OFFICE YAGI Inc. CEO|全国展開するランクラブ「RDC RUN CLUB」|銀座・目黒の低酸素ジム「RDC GYM」|ケニア共和国・イテンで世界一を目指すランニングチーム「RDC KENYA」|パーソナルジム「KARIV GYM」 日本のみならず世界でウェルネス・ランニング事業を行う。